diary
June 30, 2009
人生の学び(2)
しばらく前に書いた人生の学び(1)の続き。
今までどんなことをこの人生で学んできたのを
どうでもいいけど振り返ってみる。
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その事象に、もともと良い悪いの価値は無い
(自分が勝手に決めるだけ)
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小学一年生の時に親が離婚して、
自分はなんて不幸なんだ!普通の家庭で育ちたかった!
ってずっと思っていた幼少期から青年期時代。
マジで辛かった。
しかし、そこで考えた。っていうか、
こう考えないと前に進めなかった。
複雑な家庭環境だからこそ、見えたものがあるはず。
経験できたことがあるはず。そう、つまり
どんなことも捉え方次第で、自分にプラスになると。
ジョンレノンだって、エリッククラプトンだって、
不遇の少年期を送っていた!って。
畏れ多くもスーパースターと自分を一緒に考えていた。
そして、
どんなことも一次的な判断は出来ない、
メリットがデメリットに成り得るし、
デメリットがメリットに成り得る。
全ては表裏一体であるってことを
理屈ではなく、体現して学べたような気がするし、
色んなことを学びながら、
一歩でも前に進みたいと思っていた。
だからか、小学生の頃の好きな偉人の言葉が、
坂本龍馬の
「例え目の前が泥の中でも、一歩でも前に進んで死にたい」
っていう、どこで聞いたか本当に言ったか分からない
言葉を頼りに生きていた。また、
中学生の頃からの座右の銘が
[人間万事塞翁が馬]だったってのも、
フツーじゃない家庭環境でこその選択だろう。
今では本当に感謝してる。
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本質を見つめるべし
(不変なものこそ全て)
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何がキッカケかは分からないが、
社会人になって、自分自身が仕事をして、
生きていく上での明確な命題がこれだった。
つまり、表面的なことに囚われるのはでなく、
その奥底に潜んでいる、不変なものだけを
見つめていたいし、すべてを削ぎ落としていき
最後に残る本質だけを忘れずにいたいと思っていた。
だから、後の話にも続くのだが、宇宙の存在や
見えない世界や、死ぬということ、存在ということ
それらを説明する本質を知りたくて、まだ当時
スピリチュアルという言葉も無かった頃に、
(当時は精神世界って言ってたっけ)
その、精神世界について書かれた様々な本を
貪り読んだ記憶がある。
今から約18年ほど前の話だ。
つづく・・・。で
今日は、毎年恒例の夏越の祓いの日だった。
平日で行けるはずもないので、
人形(ひとがた)を橿原神宮に送付した。

これが人形(ひとがた)。
skmt | 22:40 | diary