フジヤマ
ミッチー
爾霊山
グゲゲ
幸福な
背番号
異常
Cafe
[第2章]歌をせがむ中国娘。
1894年に勃発した日清戦争で勝利した日本は、日清講和条約(下関条約)により遼東半島や台湾などを清国から譲り受けた。しかし、アジアの覇権を狙う列強各国はその戦略的価値の高い遼東半島に対して日本がアドバンテージを持ったことが気に入らず清国に返せと言ってきた。いわゆる三国干渉(露仏独三国の遼東半島遷付勧告)だ。もともとは満州への進出を策していたロシアがフランスとドイツを誘って行ったものだ。遼東半島は朝鮮半島の北に位置し、神戸からだと北海道の最北端・稚内とほぼ同じ距離だ。
そしてのこの三国干渉によって、ヨーロッパ列強の本格的な中国分割が開始されることにもなった。当時の中国は横たわる牛のように列強の国々に食い散らかされていたのだ。
中国分割競争
ドイツ……膠州湾(山東半島)の租借
ロシア……旅順・大連(遼東半島)の租借、東清鉄道の敷設
イギリス…威海衛(山東半島)・九竜半島(香港島の対岸)の租借
フランス…広州湾の租借
日本………福建省の不割譲を約束させる
アメリカ…中国の門戸開放・機会均等を主張(ヘイ国務長官)
三国干渉での『清国のためであり、また朝鮮国の独立を尊重するため』というロシアの大義名分はあっさりロシア自身によって破られ、日本が去った後の旅順・大連(遼東半島)をロシアはすぐに我がモノにした。その屈辱的ともいえる遼東半島の返還によって日本ではロシアへの敵対意識が高まり「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)」をスローガンに国を挙げて対露戦の準備を進めることになったという。
大連・旅順は、その三国干渉での舞台となった遼東半島の先端付近にある町だ。
「大連は日本人やロシア人などの外国人による統治時代が長かったせいで、中国本土内でも一風変わった雰囲気の町なんです」。
と行きのバスの中で丁寧ちゃんが言っていたが、雰囲気は台湾と似ているなと思った。人口250万人の都市だから神戸市より規模は大きい。
いたるところに広告看板が立っていて、その看板は当然ながら漢字のオンパレードなのだが、共産主義圏の国がこんな広告を出しているとは驚きだった。
いたるところに看板が。これは政府筋のものか?▼
中華思想を捨てきれず、時代に逆行した軍事大国としての中国の脅威とともに、膨大な人口を抱えた中国がより開かれた国となり、日本と同じ自由な資本主義の盟主となる可能性が非常に高い現実が、まさにこれなんだなと実感した。どこに行っても上海・上海と言われるが、ここ大連を見ても分かるように、中国は確実に変わってきている。これから中国という国は色んな意味で恐ろしい。
▼モンゴル人のオッサン。とんだ食わせモノだった。
チェックインを済ませ、我々御一行様は大連市内観光へと向かった。さっきの丁寧ちゃんに変わって、布赫(フヘ)という見たことないような字を書く、モンゴル人のオッサンがガイド役として案内してくれた。
今度はさっきより小さめのバスに乗って、ロシア人街や伊藤博文も泊まったというホテルなどを観光した後、日本人街に行った。日本人街と言っても、きれいに舗装された道の両側に異人館風の建物が連なっているだけで、しかも先に行ったロシア人街と殆ど同じだった。
▼ヤマトホテルをバックに健兄さんとフランケンをパチリ。
バスを降りて日本人街を歩いていると、日本でもあまり見ないような抱き合ったカップルがいてまたしてもド肝を抜かれたが、これが現在の中国なのだと納得した。それからしばらく歩いていると小学校高学年くらいの中国人の女の子が何やら僕たち日本人達に興味があるらしく、ずっとこちらを見ている。と言っても表情は笑顔だから、南京大虐殺の恨みをこの場で果たしてやるといった感じでもなかった。女の子はこちらに近づいてきた。そして、
「学校教科書的掲載歌意味教願望切望期待願。此日本人的歌唄教又一緒唄願望切望期待願鈴木宗男悪男北方領土返還希望・・・」
みたいなことを言い漢字しか書かれていない教科書を取り出して、その教科書の中の1ページを指差して何やら言っている。一緒に歌を唄えと言ってるようだ。
▼ここでも健兄さん。中国娘のために大声で歌を歌ってやった。
モンゴル人のオッサンが言うにはそれは日本の歌らしい。日本の国を国とも思っていない中国の、それも中華思想と反日思想をもっとも教え込むべき教科書に日本の歌が載っているとは俄かには信じ難かった。しかし、中国娘がそばにいたもっと珍しいであろう白人には目もくれず同じ東洋人の僕たちに熱い視線を送っていたのだから、モンゴル人のオッサンの言うことに間違いはないはずだ。しかしよくよくその教科書を見てみると結構使い古されているようだ。ということはもしかしてこの教科書は、この中国娘のものではなく、例えば満州は関東軍に属する日本人軍人だった祖父の遺品として、孫娘が後生大事にしていて、小さい頃祖父に唄ってもらった日本の歌を聞きたがっているのではないか、と勝手に想像してたりしていたが、やはり出てくるのは戦前の日本の教科書に載っていたような古い歌ばかりだった。
しばらくその場所で中国娘にせがまれるままに、健兄さんが中心になって日本の歌を歌ってあげていた。
「僕らはみんなぁ生きているぅ〜いき〜ているから歌うんだぁ〜♪・・・」。
決して健兄さんの歌声が良かったわけではないだろうが、中国娘は本場もんの日本語による日本語の歌を聞いてたいそう喜んで去っていった。
「喉渇いたでしょうからお茶でも飲みましょう。この先にいい店あります」。
とモンゴル人のオッサンが、いかにも長年のガイド生活で得たであろう絶妙のタイミングで言った。実際僕たちも少々疲れていた。
「お茶飲みに行くらしいで」。
健兄さんが言うと、フランケンは
「いいっすね」。
と、いつもの応援団風の「っす」言葉で返事をした。
モンゴル人のオッサンは、僕らがお茶を飲むことに同意した瞬間に、水を得た魚のようにすいすい歩いていった。
「杉野ぉぉぉぉ!杉野は何処へぇぇぇ!」。
と言う健兄さんの後に連なり、僕らはモンゴル人のオッサンの後についていった。
健兄さんが叫んだ「杉野・・・♪」について、きっと何のことは分からないだろうから説明すると。
日露戦争で活躍した日本人の中でも名の知れた人物に広瀬武夫中佐がいる。中佐は日本の東郷平八郎率いる連合艦隊に属していた。艦隊は旅順口でロシアの艦隊が港から出てきて海上をあらしまわることを防ぐため港口を見張っている。しかし、本来の目的はバルト海からやってくるもう一つの艦隊であるバルチック艦隊が来る前に、この旅順艦隊を全滅させることだった。そして2ヵ月ほど掛かる艦隊の修理を終え今度はバルチック艦隊を再び全滅させなければ日本の勝利は無いという悲壮な状態であった。
そのために陸軍が旅順の要塞を落とし、陸から旅順艦隊を全滅させる作戦を採った。その作戦を担うのが乃木希典率いる部隊である。しかし死体の山を築くだけで全くロシアの要塞はびくともしない。そこで、海軍は狭い旅順口を古い船を沈め閉塞(へいそく)しようと思い立った。ここで広瀬中佐の登場である。
一度目は失敗した。二度はロシアの砲撃を喰らいながらなんとか沈没させる位置へ到着し船を沈め始めた。駆逐艦へ戻るボートに乗り移ろうとした広戦中佐は、部下である杉野兵曹がいないことに気が付いた。中佐は再び沈み行く船に戻り、「杉野は何処(いずこ) 杉野は居ずや!」
▼旅順口:左の赤丸あたりに福井丸、右のあたりに報国丸が沈められた。
と叫び、そのまま敵の砲弾を浴びて帰らぬ人となった。
この勇気ある行動を称え、中佐は一躍時の人となり広瀬中佐を題材とした歌も出来た。その中に一節にあるのが先の健兄さんが叫んだ言葉なのだ。
われわれはそのまま健兄さんとともにモンゴル人のオッサンの後を追った。
「ここです」。
モンゴル人のオッサンが案内してくれたのはおしゃれな異人館といった感じの建物だった。ちょっと喫茶店という雰囲気ではなかったが、案内されるままに建物の2階に上がっていった。
[第3章]チャイナドレスの怪しい喫茶店。
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