フジヤマツアー!
日本人として一度は行くべき場所。フジヤマを制覇してきた。
(2003年7月19〜20日)


[第1章]なぜ富士山に登りたかったのだろう。


富士の壮大な眺めは、見る者の心を寛容にさせ、何かとてつもない
大きなことが出来そうな気分にさせてくれる。


 なぜ富士山に登りたいと思ったのか。
 そう聞かれても、明確には答えられない。
 (日本一高い山だから?)
 半分は合っているが、半分は違う。
 「富士山に登るんです」と言うと、周りの人は「どうしてですか?」とか「山登りが好きなんですね」とは言わない。大抵の人は「いいですね」「私も登りたい」と言う。
 もしまだ台湾が日本の領土で、ニイタカヤマ(玉山)が日本の最高峰であったなら、果たして僕は登っただろうか。もし僕がアメリカ人だったなら、アメリカ本土の最高峰、Mt.ホイットニーに登りたいと思っただろうか。ニイタカヤマやMt.ホイットニーに登るんですと言って、大抵の人が「私も登りたい」と言っただろうか。
 そう考えると、富士山という山は日本人にとって、“特別なもの”であり、“富士山に登る”という行為は、日本人の中に、単なる登山というものを越えた、なにか“特別なこと”という意識が根付いているような気がする。
 なぜ富士山に登りたいと思ったのか。明確には答えられないが、なんとなく“日本人だから”あるいは“それが富士山だから”という答えがもっとも近いような気がする。

 富士山登山は五合目から始まる。
 五合目に到着する同時に、僕はふと、一昨年のGWのことが頭によぎった。
 会社のスタッフたちと、江田島海軍兵学校見学の帰りに、F15(イーグル戦闘機)の爆音をぜひ一度この耳で聞いてみたい!ということで行った岩国基地(米軍基地)の航空祭での話だ。
 自衛隊系イベントとしては割と盛大なこの航空祭には、全国各地から人が集まる。よく覚えていないが、確か10万人ほどは来場してたと思う。10万もの人間が、一度に集まるとどうなるか?
 トイレが足りなくなるのである。簡易トイレがたくさん出来ていたが、そんなモノで10万もの人間の用が足せる訳がない。昼前には早くも長蛇の列になっていた。
 僕は元来、お腹が弱い。そして旅行に行くとさらに弱くなる。そしてとうとう来てしまったのである。大きな声では言えないが、大きい方だ。
 簡易トイレ一台につき、約50名は並んでいる。とにかく並ばないと話にならないので、しばらく並んでいたが、どうにもこうにも時間が足りない。
 この調子だとトイレにたどり着けるまで、早くて30分は掛かる。しかし、僕の体内時計によると、もって10分だ。これは気合いでどうにかなる数字ではない。物理科学的に不可能である。
 僕は生きた心地がしなかった。“お漏らし”なんてことになったら冗談ではすまない。小さい方ならなんとか誤魔化すことが出来そうだが、大である。きっと周囲にも臭いは漂うに違いない。しかも、雰囲気から言うと、半分くらいは液体化している。つまり下痢気味なのだ。ということは、足を辿ってきっと「ズボンの下から、こんにちは」ということになるはずだ。そんな状態で、うちの社員にどんな顔して会えばいいのだ。会社では、上司としての威厳も必要だ。しかし、(エラそうなこと言って、お漏らししたくせに)なんて思われるに決まっている。
 普段ポジティブシンキングを心掛ける僕も、さすがにド級のネガティブシンキングのルーピング現象に陥っていた。 社員に見捨てられ、すっかり自信を喪失してしまった僕は、仕事にも力が入らず、その結果、仕事も段々減っていき、首が回らなくなったあげくには、会社を畳むことになり、いたたまれなくなった僕は、愛着のある神戸をあとにして知らない街へ引っ越して、そこでひっそりと余生を暮らす。あぁ、一体僕は、誰を恨めばいいのだぁ!
 それか、いっそのことこの家族連れで賑わう、この基地のど真ん中で、ケツをおっぴろげてヤルか? それならば、恥は一時で済む。漏らせば一生ついて回る。注意1秒、ケガ一生だ。どうする?ヤルか!出すか!
 僕はその時、まさに人生最大の岐路に立たされていたのだ。

 その時である。なんの根拠も理由もなかったのに、長蛇の列から離れて、一直線にある建物の方に向かって、勝手に足が動きだしたのだ。何かに導かれるように。そして、歩くこと10分弱。意味なく目指した建物に到着した。すでにお尻はカウントダウンに入っている。そして、建物の入り口に居た白人男性に、僕は顔面蒼白になった顔で、振り絞るように言った。
「プリーズ、トイレ・・・・」


岩国基地(米軍基地)の航空祭で見たF-15の爆音は、まるで空気が破れるような破壊的な音だった。僕はその爆音の下で、トイレを探し求めて、さまよい歩いていたのであった。

 まさに、ドラゴン危機一髪であった。1秒と違わずのジャストオンタイムだったのだ。
 僕は九死に一生を得た。神が僕を導いてくれたのだ。しかし、もし間に合わなかったら?と考えると背筋がゾッとした。社員たちの前で、一生立ち直れない赤っ恥をかくところだった。会社を畳む羽目になっていた。誰も知らない街に引っ越す羽目に陥っている所だった。仕事も新たに見つけなければいけない所だった。ここは王道に、住み込みのパチンコ屋か、人里離れた民宿で配膳係でもやらないといけない所だった。
 (もうこんな思いしたくない!)
 僕はこの時から、トイレのない場所にトラウマが出来たのだった。
 去年の秋頃に行った釣りの時も、怖い目にあった。釣り船に乗ったら5時間は戻ってこれない。もう僕はそれを聞いただけで、冷や汗が出てきていた。案の定、釣り船が出た瞬間に催してきた。船頭さんに相談すると、
「そりゃ、船の上からケツ出してやってもらわんといけんべ」
 とりつくしまもない。
 そしてとうとう僕は、健兄さんや杉や、若社長の前でケツをおっぴろげて・・・。
 お陰様でスッキリ。という訳には残念ながらならず、その時も、結局は事無きを得たのだった。しかし、それからトラウマは完全に僕のものとなったのだった。

 岩国の航空祭の後日談だが、聞くところによれば僕と同じような境遇に立たされていた人が他にも居たらしい。彼は、僕とは全く別の作戦を企画し遂行したらしい。どんな作戦かと言うと、並んでいる簡易トイレに特攻攻撃をするという、いわば人間爆弾的な作戦だ。
 つまり、早い話が割り込みですな。並んでいる人たちを押しのけ、前の人が簡易トイレから出てきた瞬間に有無を言わせず割り込み、用を足してしまうというヤツです。しかし、彼の心境は痛いほど僕には理解できる。割り込みは悪いことだが、それによって彼の人格は保たれ、愛着のある街を離れなくて済む訳だから、ここは大きな気持ちで許してやって欲しいところだ。
 ただ、一つ頂けないことをしたらしい。彼は本当にせっぱ詰まっていたんだろう。周りが見えなかったのだろう。特攻を仕掛けて入った簡易トイレは、男性の小用だったのだ。しかし、もはや、お尻がテンカウントを数える彼は、やむなく小用の便器にお尻を突っ込み、ヤッてしまった。
 さすがにそれでは、後の人が困るというものだ。


富士の存在は、我々日本人にとって“特別なもの”だ。しかしトイレは大事だ。

 富士山登山の途中は、もちろんトイレが無い。合間合間の休憩所にはあるものの、そうカンタンに用を足すということは出来ない。有料だし。そういう訳で僕はまたしても恐怖心が沸き起こってきたのだった。幽霊や怖い話、お化け屋敷などはまったく大丈夫なのだが、ゴキブリとトイレのない場所だけは、耐えられない。
 怖い話で思い出したが、さっきのタクシーの運転手が、自殺の名所である樹海に死に場所を求めてやってくる人は結構多いと言っていたな。その運転手さんも、それらしき人を何度も乗せたことがあると言っていた。
 何でも、自殺する人は、樹海の奥深くで首を吊ることは稀で、遠くてもクルマの通る道路から50mほどの場所で吊るらしい。考えるに、死んだ後は早く誰かに発見されたいらしいから。また、死に場所近くの木やガードレールに、タオルなどを巻いて目印にする人も多いらしい。要するに、ココで死んでますよ、ということだ。つまり、どんなに世の中がイヤになって死を選ばざろうえなかった人でも、死んだ証というか生きた証だけは、この世に残していたいということだろう。

 五合目は思ったより空気が薄く、何だかすでに息苦しかった。
 僕はトイレのない状況と、すでに息苦しい状態で、逃げ出したい気分だった。
 誰だ!富士山なんて登ろうと言ったヤツは!おぬし名を名乗れ!という心境だった。
 しかし、言い出しっぺはまぎれもなくこの僕だった。逃げ出す訳にはいかない。僕はやむなく、ポケットにティッシュを山盛り詰め込んで、もしもの時のために備えた。


[第2章]ノブコ怒る!


笑いあり、涙あり、万年床ありの大スペクタクル長編物語が、いよいよここから始まった。

 なかなか本題に行かないが、さっきも言った通り、五合目からのスタートである。メンバーは9名。上の写真がその全メンバーである。
 左上から、涙目ササベッチ。彼女はこの登山で大変な試練に出会ってしまう。詳しくは後で紹介する。黄色の上着を着ているのがいつも「ルルルルル」と笑う嶋さん。その上は我らが健兄さん(リ社時代の部会で漫才師の中川家が命名。つまりトミーズの健ですな)。白っぽい帽子を被っているのがスパルタ教育が得意な先輩ノブコ。涙目ササベッチとの壮絶なバトルは、聞くもおぞましい話だ。その横は寂しん坊イケモである。彼は、戦禍を逃れて疎開先に向かう途中に我々と合流した。彼のザックの中には、ドリフで使うような大きな鍋や、ウラの畑で取れたサツマイモなどが入っている。本当の話である。赤い帽子が僕。一番右が、弱冠25歳で会社を経営する若社長。左下は、ニューカレドニア帰りのサロン・ド・ユキ。そして、一番手前でデカいツラをしているのが杉。彼と二人で居ると、彼の方が社長だと思われてしまう。僕より10歳も年下なのに・・・。
 以上の面々だ。あと、健兄さんの後ろにボンヤリ見える人は、健兄さんに取り憑いた富士山で無念の死を遂げた地縛霊の方なので気になさらずに。ただ、健兄さんはその方を姫路に連れて帰ったそうだ。合掌。
 当初はもっと人数が、多かったのだが、「コロコロ里香ちゃん」はドクターストップで不参加。「アヤヤ」のモノマネが絶品!と聞いていたので非常に残念だ。他にも、不慮の仕事が入ってしまったベイブや、ドリカムのコンサートとバッティングした豆タンクの他、結婚式で無理、ヨットレースでダメ、前々日に酔っぱらって転んで痛いので不参加です、ということで段々数が減り、結局は9名で行くことになったのだ。


道のりはまだ始まったばかり。涙目ササベッチの足取りも、この頃はまだ軽やかだった。

 五合目から六合目、七合目くらいまでは比較的、楽に進んでいけた。空気が薄いせいで頭は少々痛いが、思ったより大変ではない。ただ、道が単調なのでだんだん飽きてくる。その単調さに痺れを切らした健兄さんが、
「杉!なんかオモロイ話してぇな。後に引くようなオモロイ話」と言ったので、僕がすかさず、
「そうそう、ヒグピー氏のようなヤツたのむわ」と追い打ちをかけた。
 しかし、ヒグピー氏の腸が捻れるような笑いはなかなか真似できるものではない。
 具体的には、[いざ爾霊山へ!歴史オタクの5人組が繰り広げる旅順・大連ドタバタ旅行記]を読んでヒグピー氏の抱腹絶倒なギャグの数々を堪能して欲しいのだが、と書いている内に、いま一つ思い出した。
 ちょうど、その中国旅行から帰ってきて1ヶ月ほど経った頃、ヒグピー氏が社長に就任したというので、僕が企画して開いた“社長就任お祝い会”の席での話だ。
 仕事が長引いて杉だけが、まだその席に到着していなかった。
ヒ『杉田くん、忙しいねんな』
僕「そうなんですよ。うちの期待のホープですから、しっかり仕事してもらわんと」
ヒ『そんな忙しかったら、彼女もなかなか出来ひんな』
僕「いやそれが、最近出来たらしいんですよ彼女。つい最近ですけどね」
 杉が来る間、そんな会話(前フリ?)が行われていた。
 そうこうしている間に杉が到着。そしてヒグピー氏得意の、延髄狙い打ち回し蹴りギャグが炸裂したのだ。
ヒ『杉田くん、彼女できたんやって?』
杉「は、はい。でも、まだ付き合い始めたところです・・・」
ヒ『聞くところによると、もう中絶したらしいやん」』
杉「えぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」

 このおかしさが、文章で伝わるかどうか心配だが、それより富士山登山である。


老体にムチ打って登る健兄さんは、早速酸素を吸入。

 それは確か七合目での出来事だった。
 心配してた「ルルル」笑いの嶋さんや若社長は、思ったより元気で割とスイスイ登っている。しかし、思わぬ人が苦しんでいた。涙目ササベッチである。
 列からだんだんと遅れを取り始め、砂埃で涙目に拍車がかかっている。すると辛そうな顔の涙目ササベッチに、先輩ノブコが優しい声色で
「何してんの。頑張りぃな」と言った。
 涙目ササベッチは、一見優しそうなトーンだが、先輩ノブコのスルドイ激励に、「は、はい」と答えるのがやっとだった。
 そんなスルドイ激励も虚しく、涙目ササベッチの遅れは、狭くなるどころかドンドンと広がっていった。
 すると先輩ノブコは、僕だけに聞こえるように、こっそりと
「ちょっとヤキ入れてきますんで、先に行っといて下さい」
 と言いながら、方向を転換して涙目ササベッチに向かって歩いていった。遠目にも涙目ササベッチの恐怖の様子が伝わってきた。
 涙目ササベッチのそばまで行った先輩ノブコは、まず涙目ササベッチの頭をコヅいた。周りから見ると一見、先輩が後輩の頭を可愛くコヅいたように見えるが、その破壊力はコヅかれたものにしか分かるまい。実際、涙目ササベッチは、回し蹴りを決められたK-1ファイターのように脳が揺れたのだろう。先輩ノブコがコヅいた瞬間、涙目ササベッチは膝から倒れかけた。
「ギョエ!」
 いくら同じ会社の同じ部署の後輩だからって、それはやりすぎではないかと僕は思ったが、周りが気付く様子もないのをいいことに、先輩ノブコは容赦しなかった。
 恐らく口の動きから、「いい加減にしぃや。根性入れや。みんなに迷惑かけてんねんで!」と先輩ノブコが涙目ササベッチに言っているのが分かった。恐怖におののいた涙目ササベッチは、足早に僕らに向かって歩いてきた。
 なんだか泣きそうな顔だ。すると先輩ノブコはすかさず、
「何泣いてんの!」
(怖っ!)僕はノブコの剣幕に驚いた。涙目ササベッチはその凄まじい先輩ノブコの言葉に、
「す、すいません、コンタクトが痛いんです」
 そう言えば先輩ノブコは、「RX-8」という走り屋さんが乗る、とっても早いクルマを購入したらしい。ツインロータリーエンジンで250馬力なんですよぉ、ポルシェでもカンタンに追い抜けちゃうんですよね。燃費は悪いんですけどぉ、と僕に自慢気に話をしてたっけ。
 きっと、そんなクルマで、頭の尖った怖そうなお兄ちゃんと山を走りに行っているんだろうな。勝負だぜ!とか言って、ブォンブォン言わせてコーナー攻めているんだろなぁ。「このクルマ、ちょっとアンダーステア気味だなぁ」とか「ヒール&トゥがうまく決まった!」と言ってるんだろうな。そうか、先輩ノブコはそういう人なんだ。
 僕は態度を改めなければならないと思った。もちろん先輩ノブコに対してだ。怒らせるときっと「根性焼きで勝負しましょう!」とか言いだすに違いない。タバコなんか熱くて・・・、考えただけでも恐ろしい。
「ササベと後で追いかけますから、先に行っておいてください」
 先輩ノブコの言葉に、僕は「では先に参ります」と、もちろん敬語で答えた。


疲れ果てた涙目ササベッチを追いつめる先輩ノブコ。

 七合目から八合目は確かにキツかった。僕らも、やっとのことで八合目に辿り着き、ほっと一息ついて休憩所から下を眺めた。すると、遅れていた先輩ノブコと涙目ササベッチの姿が見えた。よく見てみると、先輩ノブコが杖で辛そうな涙目ササベッチのモモの部分をシバきながら歩いている。そして驚くことに、涙目ササベッチは、自分の荷物の他に先輩ノブコのモノと思われる荷物を担いでいるではないか。
(う〜む。恐ろしい)
 僕は先輩ノブコの、全身全霊を掛けた後輩教育に正直おそれいった。


[第3章]道中は、それぞれのキャラが滲みでていた。


登山の途中でお会いした93歳のおじいちゃん。道行く人に、ことごとく年齢を聞かれていた。

 さて、道中であるが、炎のスパルタ教育の二人を残し我々は着々と目的地へ近付きつつあった。
 休憩中、ニューカレドニア帰りのサロン・ド・ユキと「ルルル」笑いの嶋さんは、いつも同じ姿勢をしていた。休む時も、タクシーの運転手さんの言いつけ通り座ることもせずに立ったまま。杖を持つ姿勢までそっくりだった。この二人、今日会うのが2回目とは思えないほど息がピッタリだった。


修行僧か、はたまたキャディーかという出で立ちの、仲良し二人組(ニューカレドニア帰りのサロン・ド・ユキと、「ルルル」笑いの嶋さん)。


仲良し二人組は、寄り添うように富士山からの絶景を眺めていた。

 涙目ササベッチは、先輩ノブコがスパルタ教育中なので、そっとしておくことにして、今回の登山で、ちゃんと登れるかと心配していた第一位は、「ルルル」笑いの嶋さんだった。でもニューカレドニア帰りのサロン・ド・ユキと仲良く登ってる。第二位の若社長もなんとか、登ってきている。そして、見事第三位にランクインしていた杉であるが、なんとか皆についてきてはいてるが、半分死んでた。休憩中は全身で死んでた。証拠写真を見ればそれは明らかだ。


若社長は、息絶え絶えの中、頑張っていた。


まず7合目の前から風呂上がりのように汗をかいていた杉。その風貌は完全に、オッサンだ。


七合目から八合目に向かう間も休憩という生優しいものではなく、まさに死んでいた。


八合目から九合目の間の休憩中。ふと見ると、行き倒れのオッサンが一人居た。

 問題の人である。そう、さびしんぼうイケモのことである。さっきも紹介した通り、彼は、戦禍を逃れて疎開先に向かう途中に我々と合流した。彼のザックの中には、ドリフで使うような大きな鍋や、ウラの畑で取れたサツマイモなどの他、中学生の時に買った太宰府天満宮のお守りや、小学校の時から大事にしているビー玉、そして、得意のランニングシャツ(タンクトップではない)が3枚ほど入っていた。道なかばで帽子を被って、嬉しそうにしていたが、登っていくにつれ、凄まじい戦時下のことが脳裏に思い浮かぶのだろう、時折寂しい表情をしていた。頑張れイケモ!高度成長期が、君を待っているゾ。腐ってはダメだ!


帽子を被って嬉そうに笑うイケモ。帽子にはおかしなマークがついている。彼のザックの中には、疎開先へ持って行く野菜がイッパイ詰め込まれていた。


イケモの姿にはいつも寂しさが漂っていた。


頑張れイケモ。みんな君の味方だ!


[第4章]緊急セミナー開催。

 九合目の山小屋では、すでに摂氏0.5度という真冬並の寒さだ。
 先輩ノブコの、星一徹ばりのスパルタ教育で、涙目ササベッチはノックダウン。残りの8名で夕食を囲んだ。メニューは富士山名物のカレー。
 杉の“ピンコダチ”ネタで一通り盛り上がった後は、明日のために早めの就寝だ。


夕食はカレー。あまりに疲れすぎて、ビールも思ったようには進まなかった。

 それはまるで「神田川」という唄が流行した頃の、ヒッピーを気取ったモテない貧乏学生が住む、2階建ての文化アパートの部屋の、カップヌードルの空いたカップや、ビールの空き缶、山盛りになっている灰皿などが、狭い部屋一杯に散乱している中で、何年もの間、一度もお天道様を浴びたことがなく、部屋の湿気と男の汗をたっぷり吸ってじっとり湿り、白くて可愛いキノコちゃんがみすぼらしく生えていそうな、敷きっぱなしの布団のようであった。
 宿泊した山小屋「万年雪山荘」の寝床のことだ。実はその名は偽りで、本当の名前は「万年床山荘」ではないかと疑ったほどの完璧な万年床ぶりだった。

 明日は、ご来光を見るために午前2時に起床しなければならない。8時消灯とともに、僕らはとりあえず万年床の冷たく湿ったせんべい布団に入った。
 昨日は高校時代からの親友と銀座で飲み明かし、一昨日は新地で株主様をご接待。その前の日は夜中の3時まで仕事という怒濤のスケジュールで、結局ジムには一週間以上行っておらず、富士山のための体の鍛練は殆ど出来ていなかった。したがって、ここはともかく寝なければいけない。そうでないと明日体が持たない。そう思うと余計に寝れないものだ。しかも、僕の右隣は健兄さん。その健兄さんは、まるでケダモノかと間違うような、奇怪な音を出し続けている。
 何より寒過ぎる。僕は本当に布団の中でブルブルと震えていた。
 こんな絵に描いたような万年床のせんべい布団が、僕の身長をカバーできるはずもなく、まっすぐ背を伸ばすと足が出てしまう。普段から腰痛持ちで、今日はさらに重い荷物を担いで痛みはひどくなっており、腰を伸ばして寝ると足が万年床のせんべい布団からはみ出してしまう。体をくねらせて寝ると、腰がたまらん。僕はすっかり袋小路に陥ってしまい、山小屋の従業員のサービス精神の無さを恨んだ。明日起きたら、早速サービス精神の真髄とホスピタリティーの重要性を叩き込んでやろう。今この時代に必要なのは、顧客満足だということを実例をもとに教え込んでやろう。緊急ミーティングだ。いや、どうせならセミナーがいい。昨日、渋谷で受けてきたところだし。タイトルはこうだ。
“「あなたの山小屋が90日で儲かる!」”
“「まだ、ムダ金を万年床の山小屋に使いますか?」”
 あるいは、
“「お客様が満足する山小屋。お客様が激怒する万年床の山小屋」”
 ロバート・キヨサキが教える、
“「山小屋の金持ちオーナー、貧乏オーナー」”
 あの頭の悪そうな兄ちゃん達にちゃんと伝わるかな。それよか、ロバート・キヨサキと連絡取れるのかな?それよか、明日のことより、今のこの寒さを何とかしたいのである。七つの習慣で言う、第一領域的(緊急かつ重要)な事項なのだ。諺で言うなら、遠くの親戚より、近くの他人なのである。よく分からんが。
 このままでは、万年床のせんべい布団の中で凍え死ぬかもしれない。明日起きたら死んでいた、なんてことは何としてでも避けたい。とにかく、こんな山のテッペンで死ぬ訳にはいかないので、僕は体をビミョーに動かし動かしして、周囲から見たらきっと異様だろうなぁと思いながらも、構わずビミョーな動きを続け暖を求めていた。
 家の布団は、こういう状況の中で改めて考えると最高だな。羽毛布団の軽やかさと、この万年床のせんべい布団の湿り具合を比べる必要もないが、例えて言うと、白石美帆の笑顔と小森のオバちゃまの局部、程の違いはあるな。

 そんなバカな事を考えながら、消灯から3時間ほどは経った頃だろうか。一番端っこで寝ていた杉が、やおら立ち上がった。
 (トイレかな?)
 そういえば、僕も行きたかったな。と思いながら、杉に気付かれないように後をついていった。杉は、健兄さんほどではないが、異常な怖がりである。そして、僕は異常なほど、人を驚かすのが好きなのだ。したがって、これはチャンスだ。
 (トイレから出た所で驚かしてやれ。きっといいリアクションするに違いない!)
 異様な動きのお陰でやっと温もりかけた万年床のせんべい布団から出るのも辛かったが、僕はじっとり重い万年床のせんべい布団をはねのけ、さっきからずっとピュウピュウ鳴ってうるさいドアをゆっくり開けて、杉の後を付けていった。
 トイレは宿泊する施設の離れにある。
 しかし杉は、トレイの前を素通りし、そのまま氷点下の寒空へ出ていってしまった。
 (タバコかな?)
 とにかく驚かして、立派なリアクションをとって、そのド派手な慌てぶりを明日みんなに報告することが今一番重要なミッションなのだ。タバコでもトイレでも、僕にとってはどちらでも良かった。そして僕は、ジョームズ・ボンドばりの軽やかな身のこなしで、杉を追ったのであった。

 ドアの陰から外を覗くと、杉はタバコを吸う様子もなく。なにやら、天空を仰ぎながら佇んでいる。そして、しばらく観察していると、どうやら様子が変わってきた。
 そして僕は見てしまった!
(エッッッッッ!!! ここでかぁっっっっっ!!!)


こんなご来光が見れたらいいなと勝手に想像していた。


[第5章]いよいよ山頂へ。

 ケダモノのような奇怪な音と、その他もろもろの理由で結局全然眠れなかった。
 僕はいつも携帯電話の目覚ましで起きるのだが、今日も朝の2時にその目覚ましを掛けおり、曲は「MISSION IMPOSSIBLE」を指定していた。
 そして2時。突然けたたましく鳴り響いた「MISSION IMPOSSIBLE」に、昨日の夜、誰よりも真っ先に寝て、いち早くケダモノのような奇怪な音を出し始め、みんなの安眠を妨害し続けていた健兄さんが
「なに?なに?なに?どうした?どうした?どうした?」
 と、突然の「MISSION IMPOSSIBLE」に、可哀相なくらい動揺して起きあがった。

 朝、起きて外に出てみるとすでに人だかりが出来ている。そして、人だかりをかき分け見てみると、山小屋へ向かう人々、山頂へ向かう人々、それぞれ明かりが連なって光りの道が出来ていた。
 渋滞するとは聞いていたが、想像以上の人の数だ。
 予定より少し遅れて、3時過ぎに山小屋を出発。登山路は本当に渋滞していて、なかなかスムーズに登れない。
 昨日の疲れと睡眠不足で足取りは重い。渋滞で休み休み登るので、丁度休憩しながら登っていける。止まっている時は、目をつぶって寝ながら登っていた。
 途中、風が強くなり霧で前も見えない。寒い。
 まさに試練の道のりだった。
 何時間くらい登っただろうか。殆ど意識のないような状態で足を動かしていた。山頂に近づくにつれ、空は明るくなり道は若干広くなっていたが、疲れでペースは速まらない。
 霧は相変わらずで、視界は悪い。
 その時である。突如目の前が明るくなった。まるで幕が開いたように視界が開け、漆黒の山肌の向こうに七色の朝日が、ココまで登った僕らを歓迎するかのように目に飛び込んできたのだ。
 無言で登る周りの登山者から一斉に歓声があがった。
 僕は、この道のりの辛さと朝日の美しさを、周りの誰一人知らない登山者たちと共有できたことに、少し感動してしまった。
 皆、この自然の美しさを見たさに、苦しい道のりを歩いてきたのだ。そう思うと、全員がどっか根っこで繋がっている仲間のような気がした。「日本人だから」「富士山だから」。理由は、分からずとも、“何か特別なもの”を味わいたくて登ってきた人たちと一緒なんだと感じると、なんだか妙な安心感に包まれた。


それは突然という言葉がピッタリの美しい眺めだった


やはり富士は特別な山だ。見よ!この眺め(借りパチ)

 僕はこの時に一番感じた。やっぱり登って良かったと。
 しかし、山頂まではまだ少しある。あとは、ゆっくりと噛みしめるように登っていった。そして、いよいよ山頂だという時、何故だか走り出したいような衝動に駆られた。
(ここが頂上だ!)
 山頂付近には、遮るものがなく朝日が一面に広がっている。その朝日の広がりを確認すると同時に、達成感がじわじわと僕の中に広がっていった。


山頂に辿り着いたことを記念して、皇居に向かって万歳!をする


日本最高峰で記念撮影。涙目ササベッチとニューカレドニア帰りのサロン・ド・ユキは、
頂上富士館でお昼寝ラッコ


 妙なもので、いったん頂上に登ってしまうと、富士山に登る前のことが、ついさっきの絶景の事も含めて、遠い昔のような気がする。まるで、富士山登頂前と富士山登頂後という、新しい物差しが出来たみたいに・・・。


[第6章]温泉&マッサージ&海鮮料理は最高!

 帰りは、御殿場方面に向かう登りと違う道を下っていった。
 登り約8時間かけて登った道も、帰りは半分にも満たない時間で下ってこれた。
 下山後は、ホームページで見つけた“富士山の見える露天風呂”のある施設へ向かった。ホームページのショボさが嘘のような立派な施設だった。

 残念ながら雲が掛かっていて富士の全景は見えないが、露天風呂から山裾はハッキリと見える。その露天風呂もたいそう広く、僕は1時間も入っていた。ちなみに若社長は2時間も入っていた。いづれにしても大満足。
 風呂から上がり、やってもらったマッサージがまた最高だった。垢すりから足ウラ、全身とマッサージ関係は一式揃っており、選ぶのに苦労した程だ。結局、僕とノブコがチャレンジしたのは、初体験・足踏みマッサージだ。オバチャンが足で、体中を踏みつけるマッサージだ。これが本当に気持ち良かった。オバチャンの足は、足とは思えないような微妙な動きで、僕の筋肉痛の体を刺激する。「オバチャン、僕と一緒に神戸に来てくれませんか?」と言いたくなるほどの気持ち良さだった。
 そして料理だ。まだ出てくるか、と思うほど圧倒的な料理に質・量とも大満足。先輩ノブコは、「ビール!ピッチャーで下さい!」と何回言っただろうか。次々とビールがやってきて、さすがに余るか!と思われたが考えが甘かった。疲れ果てて寝てしまう健兄さんなどを顧みず、ビール好きのオッサン杉と、戦禍をくぐり抜けビールなどたらふく飲んだことのないイケモに「さぁ、飲みますでぇ」と、無理矢理飲ませ続け、自分も浴びるほど飲んで、あれほどあったビールを全て平らげてしまったのだ。うむぅ、恐るべしノブコ。

 当分、山登りはいい。そう思えるほど肉体的にも精神的にも辛かった富士山だった。しかし、時間が経つにつれ、辛いという思いが流れ出していき、いや、辛ささえ大切な思い出として、僕の中に染みこんでいることにだんだんと気付いていくことが、不思議だった。
 辛いを通りこして、ムカついた万年床の思い出も、しばらくブランウン管で見ない小森のオバちゃまを懐かしむように、今では優しい気持ちで思い起こすことが出来る。局部のことは考えてはいけない。もちろん、そうは言っても白石美帆の笑顔の方が断然いいが・・・。可愛いいし。

 あと、杉の話は、ちょっとココでは紹介できないようなトップシークレット事項なので割愛させて頂きます。
 正直言うと、僕には、あまりに衝撃的な出来事過ぎて筆舌では表現できない。どうしても知りたい方は、杉に直接聞いて欲しい。多分、とぼけると思うが。
 先輩のノブコのスパルタ教育は、現代の日本に欠けている部分を、ノブコが身をもって体現してくれたような気がする。今の日本の一番良くない点は、なんてったって教育だ!
 だけど、これからあんまり怒らせないでおこう。怖いし。  


10年ほど経ったら、もう一度登ってみたい。なぜなら、富士山に登ることは“特別なこと”だから

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