フジヤマ ミッチー 爾霊山 グゲゲ 幸福な 背番号 異常 Cafe


マルチメディア&アートに関する情報誌に掲載されたエッセイ
(1995〜1996年)


TITILE[異常も日々続くと日常になる]



“バランス”

 大学生の頃、学生運動に命を賭けていた知り合いがいる。もちろん僕より一回り以上年上の方だ。実に気が合い、包み隠さず何でも話が出来るよき兄貴といった存在である。当然、よく一緒に飲みに行く。飲みに行くと仕事の話などの近況報告から、本や映画の話題と事欠かない。相談事などにも乗ってもらったりする。いつも楽しい飲み会になる。しかし、しかしである。この方、なにせ昔命を賭けていたほどの人だから、ちょっと間違うと危ない話になる。そして“搾取”とか“殲滅”とか日頃使わない言葉を使い始める。“世界同時革命”などとも言う。とは言いつつ、僕もどちらかと言えば興味の無い話ではないので、たちまち激論となる。例えばこうだ。
 僕「いつもそんな理想論ばかりで、じゃあ実際に何か行動してるんですか?そうは言 ってもまず自分が生きていく為にしなければならない事をするでしょ?まずは食うことでしょ?」
 その人「じゃあ、自分が良ければそれでいいんですか?あなたは視野が狭い。世の中には自分ではどうしようもない弱者がいるんだ。当然人間として考えてやるべきだろ!!」
 僕「別にそういう人のことをないがしろにしてる訳じゃありません。人間の発想の根っこはやっぱり自分だと言っているんですよ。まず、自分が幸せにならないと周りも 絶対に幸せになんかならないですよ。それに出来るかどうかも分からないことを言うなんて、おこがましい・・・」
(延々につづく)
 つまり、理想と現実。いつもその発想の立脚点の違いから話が噛み合わず、最後はお互い激昂状態になってしまう。でも、最終的に言いたいことは同じだし、互いの気持も痛いほど分かる。いかに幸せになるか。この答えも正解もない命題について、酒の肴的に議論しているだけなのだ。
 理想と現実。左翼と右翼。先進性と保守性。与党と野党。自分と他人。生と死。アナログとデジタル。クライアントとクリエイター・・・。多分両方を知ることが最も重要で、知ったうえで自分の位置なり捉え方なり考え方を決めなければいけないと思う。その両方を知ったうえでのバランス感覚が、仕事に対する取り組みや人間に対する優しさに現れるのではないだろうか。世の中でそれなりに生きていける人は、必ずそのバランス感覚を大小なりとも備えている。もっと言えば、 世の中のすべてがバランスを保っているが故に成り立っていると言える。プラスがあればマイナスがあり、マイナスがあればプラスがある。そして最終的には0(ゼロ)でしかない。僕は無宗教だが、素直に悪いことをすれば報いがあるし、良いことをすれば報酬があると思っている。突飛なアイデアがあれば、地道な努力が必要。生きる喜びがあれば死に対する恐怖がある。デジタルが注目され世の中の主流を占めれば、アナログな人と人の出会いや、より人間味あふれるものに興味が行くというようになるといったように・・・。
[river no.8/掲載(1996年)]



無駄こそが最大の醍醐味だ

 僕は旅行が嫌いだった。正確に言うと、旅行にお金を使うことが嫌いだった。そんな無駄をするより、レコードとか服とか形に残るものに使ったほうがいい。消えてしまうもののために、形が残らないもののために必死で働いて稼いだ金を使うなんてもっての他だ。ずっとそう思っていた。基本的に僕は、それにどんな価値があるのか、どんな利益を生みだしてくれるかを理解できないと、何も行動出来ないタイプなのだ。何をするにも計画を建てないと気が済まないし、無駄な時間やお金を費やすほどバカなことはないと思っている、超打算的、超現実主義者なのだ。だから、旅はまだしも、アートと言われるものに対しては、はっきりと嫌悪感を抱いていた。アーティステックなものよりも機能的なものが好きだったし、いくら高い評価を得ていようとも自分に意味が分からず、それが自分にとってどんな利益を生んでくれるか理解できないアートに対し、さらに、そんな無意味なものにいかにも分かったように価値を叫ぶ人たちを心底頭が悪いと思っていた。いったいそれがどうしたんだ。とそういったものに出会うと心の中でいつもつぶやいていた。そうした考えは本質的には変わっていない。
 今はどうか。今は少し違う。旅にも無形の価値があることを見出したからだ。それは見えないが、安らぎを与えてくれるし、自分の気持ちをあきらかにいい方に変化させる。何よりもワクワクする。しかし、アートに対してはあまり変わっていない。ただ、旅とアートは似ていると思う。多分それは、遊びであり、ゆとりであり、無駄ではあるが価値を生みだす材料なのであろうと思う。
 そういえばこの間アナウンサーの古館伊知郎がゲストに対し、『自分の話しは仕事柄、無駄が無い。あなたの話しは無駄と回り道だらけだ。しかし、それが魅力なのだ』と言っていたことを思いだした。無駄は魅力であり、その魅力を愛するのが人なのだろう。つまり無駄こそが最大の醍醐味なのだろう。
[river no.7/掲載(1995年)]




ひょんなことで知り合った「river」という雑誌の発行人兼編集長から依頼されて書いたのがこの文章。雑誌と言っても全くの自費出版で、こんなもん出して赤字ばかりでしょうに、やっていけるんですか?と、今思うと生意気な口を編集長に聞いていた。その当時弱冠、28歳。まだちょうどデジタルとかマルチメディアとか言われてた時代で、デジタルとアナログは!的な今思うとちょっと恥ずかしいことを題材にしている。でも、改めて読み直してみても、全然考え方は変わらないし、これからも変わらないんだろうなぁと思う。



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