diary

August 16, 2007

あの夏の日。

片道25時間半も船に揺られて行った小笠原諸島。

道中の船旅は、雑魚寝の割には思っていたほど辛くはなかったし、
(家に帰ってしばらくは体が揺れているようだったが)

クジラを見ることは出来なかったが、イルカとも泳げたし、
スキューバダイビングは怖いのでやらなかったが、
素潜りで色鮮やかな熱帯魚達とも泳げたし、
満天の星で、天の川もはっきり見えたし、
流れ星もたくさん見た。

思わず踊ってしまうほど盆踊りもすごく盛り上がっていて、
祭りの最中、現地で知り合ったガイドの方にいろいろご馳走になり、
ちょっと飲み過ぎてしまったが、
ザ・日本の夏!って感じで良かったし。

充分楽しんだ。

その中でも最も印象深かったのは、
何と言っても戦跡巡りだった。

まるで映画「硫黄島からの手紙」の舞台セットのような、
日本軍が築いた数多くの防空壕や大砲、その他、居住後など
数多くの戦争の跡が残っていた。

ここ小笠原は、硫黄島ほど戦略的な価値は無かったのだが、
島全体が要塞化され、それなりの攻撃は受けたという。
そのため、敵の攻撃を受けて亡くなった人は殆どいなかったが、
疫病や栄養失調のために亡くなった方が多いと聞いた。

誰もが心和ませ、癒されるために訪れる、この美しい景色の中で、
62年前の夏、祖国のために戦った人たちがいる。
・・・戦跡を案内してもらいながら、何度もそう思った。

ここ小笠原にせよ、硫黄島にせよ、沖縄にせよ・・・。
もちろん、広島や長崎、そして日本のあらゆる場所で。

ついこの間の夏、
日本は戦争のまっただ中に居たんだということを、
今さらながら、改めて認識した小笠原への旅だった。

この夏の旅の第一候補だったペルーで昨日大地震があった。
行かなくて良かった。

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行きの船の中から見る夕陽。左手には八丈島が見えた。
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戦跡ツアーで、ガイドさんに連れて行ってもらった海軍墓地。
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要塞化されていた小笠原・父島には日本軍の遺留品が今だ多く残っている。
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これは当時使っていた瓶。あちこちに落ちていた。
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硫黄島の方向に向かって砲台が備え付けられていた。父島から硫黄島まで270キロ。
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ここ父島では硫黄島のような総攻撃は受けておらず、戦死者は殆ど居なかったらしい。
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迷路のような壕や陣地があらゆるところに張り巡らされていた。
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これは当時の陸軍が使っていた建物。空爆によって破壊されている。
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戦時中、アメリカ軍の魚雷攻撃を受け座礁した輸送船。
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日本軍によって打ち落とされたアメリカの飛行機の残骸。
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アメリカ軍の目を騙すために埋められた戦車の砲弾部分(つまり偽物)。
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今だかつて見たことないほど盛り上がっていた盆踊り大会。
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それにしてもボニンブルーと呼ばれる青い海が素晴らしく美しかった。
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東京までの帰りの船。「いってらっしゃい!」と、名残惜しそうにどこまで見送ってくれる船。

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skmt | 12:21 | diary | Comments(0)

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