diary
January 14, 2012
今年のテーマは「無為自然」。
何年か前から決めている一年のテーマ。
昔は、書き初めに書いて家に貼っていたのだが、
最近は出来ていない。が、テーマは決めている。
今年これ。
「無為自然」
なんて言うんだろう、
肩肘張らず、力を抜いて、自然体で、
過去を後悔せず、未来を心配をせず、
今を生きて、自分を信頼し、宇宙を信頼してこう!
という想いを込めて決めた。
今から16年ほど前に
独立して会社を作った時に
大いに感じていて、
そして、一昨年に、
想いも新たに再び会社を作って、
再び感じていること。
それは、昔も今も、
一から独立してなんとかやってこれて
いた(いる)のは、決して自分の実力ではなく、
周りの方々に助けられてこそなのは勿論なのだが、
もっと言うと、全てはたまたま起きているのではなく、
決められた(自然の)成り行きの通りに進んでいて、
何か大いなる力によって、生かされていると。
本当に、そう思わざろうえないと
納得できないようなことばかりが不思議と起る。
そして、今年2012年は、
ここ数年の激動が落ち着き、
全てがうまく回っていくような気がする。
ちなみに去年のテーマは,
「繋がる」だった。
大切なのは、目に見えない繋がり。
なんとなく、そう思っていたら、
東北の震災が起きて、繋がり(絆)が
大いに注目されて驚いた。
ところで、
年末クリスマスから、
羽田発でタイに旅行に行ったのだが、
そのまま関西に戻って年越しをしたのだが、
タイ(パタヤ&バンコク)から、三が日まで、
本当に本当に浴びるほど酒(ビール&日本酒)を飲んだ。
こんなに飲んだ年末年始は未だかつてない。
ので、体が重い。
軽くせねば。
skmt | 00:22 | diary | Comments(0) | トラックバック(0)
December 19, 2011
ヘビロテ
最近のへビーローテーション画像がこの5つ。
これはFACEBOOKで発見したのだが、さすが須藤元気!という訳で、曲も踊りも格好良くて、YouTubeでもiPodでもヘビーローテション。他の曲もチョー格好いい!
ZEPPELINの他の曲を弾いてるジミーペイジが見たくて、たまたま見つけたのだが、格好良すぎ!で、自分の弾きたい!と、早速練習を開始した。この曲は変則チューニング(EADADE)なので、家にあるギターのうち一つはずっとこのチューニングのまま置いてある。
スティングの歌っている姿が見たくて見つけた超美声の女性の「見つめていたい」。上手すぎる。
上のVega繋がりで発見した、我らがスザンヌ・ベガ。
「ルカ」は今でも忘れられない名曲だが、この曲も素晴らしい!
The Rain Songを見て、弾き始めたのをキッカケに、昔から弾きたいけど、コードのよく分からない曲も、YouTubeで探せばだいたいなんでも、誰かがCOVERしてて、その指の動きでなんとなくコピーできることを発見。それ以来、いろいろ探した中で、もっとも完コピしたく、何度も見ている画像。
いやぁ、なんか最近、打ち込んでいる趣味がないな(神社巡りくらい?)、
と思って久しぶりに弾き始めたギターだが、楽しいわ。
と、あまりにブログを書いてなかったので、久しぶりに書き込んでみた。
skmt | 23:41 | diary | Comments(0) | トラックバック(0)
September 23, 2011
仏教に
このブログで何度も書いているが、
最も好きな本は、手塚治虫の「火の鳥」で、次が「ブッダ」だ。
本と言いながら、実はどっちもマンガなのだが、
読んだことのある方なら、両作品の、
クオリティーの高さに異論は全くなかろう。
ちなみにその次に好き(イコールお薦め)な作品は、
「坂の上の雲」で、あとに三島由紀夫の「豊穣の海」シリーズと、
宮本輝の「流転の海」シリーズと続く。
そういえば昨日、「流転の海」シリーズの第六部(慈雨の音)が
ふらりと立ち寄った本屋に平積みされていたので即購入。
読むのが楽しみだ。
で、なんの話かと言うと・・・、
「火の鳥」の話だ。
つい二週間ほど前に台風十二号が通過する影響で、
週末どこにも出かけられず、自宅で暇を持てあましていて、
本棚からふと手に取ったのがこの「火の鳥」だった。
手に取った巻は、
「仏教」対「神道」が
題材となっている(太陽編)だったのだが・・・、
日本には、
太古から、自然畏敬を基盤として信仰されてきた
「神道」があるのだが、その一方で、約75%の日本人が
信徒だと言われるほど浸透している「仏教」がある。
しかし、飛鳥時代に日本に伝来した当時は、
「仏教」はいわゆる外来宗教であったわけで、
素晴らしいお釈迦様の教えを浸透させるというよりも、
国内を統治するための、いわばツールであった。
久しぶりに読んでみて、
外来宗教としての「仏教」
(イコール「神道」の敵対するツールとしての宗教)
という観点に、改めて新鮮な驚きを得て、
いずれリタイアしたら本格的に学びたいと思っていた
「仏教」に俄に興味が湧いてきていた訳だ。
そして、
その翌週、関西に出張していて、
いつものようにほぼ毎晩飲みに行っていたのだが、
奇しくも、その全然別々の飲み会の席で、示し合わしたように
「仏教」の話がでたことに、不思議な繋がりを感じた。
また、先に書いたように、いずれリタイアしたら詳しく学びたい・・・
と思っていた想いを見透かされたように、飲みに行っていた方に、
「学ぶなら、今でもいいんじゃないですか」
と、言われたこともあり、急遽「仏教」がマイブームになってしまった。
それなら、四国に詣ろうか・・・
などと思ったりしているわけなのだ、結構マジで。
skmt | 23:55 | diary | Comments(0) | トラックバック(0)
August 31, 2011
移ろいやすく、取るに足らないもの
前回から大分空いてしまったが
何を書こうとしてたんだっけ?
そうそう、
行き先は見えてきたのだが、
そこに到達するのがとにもかくにも難しく、
もどかしく、自分に負けそうになることも多い・・・
の続きだったな。
------------------------------------------------------------
小学生の頃だったか、
よくこんなことをぼんやりと考えていた。
自分という感覚って一体何なんだろう?って。
(存在の謎を追求するのが、小さい頃からのテーマだったから)
自分以外は、すべての人が自分ではなくて(当たり前だが)、
自分だけが自分。とすると、
この世の中って、
自分であるか、自分でないかの
2つの感覚に分かれるんだな、って。
(これもごくごく当たり前のこと)
そう漠然と考えていくと、
その2つの感覚の違いがとても不思議に思えてくるのだ。
自分は、まるで着ぐるみの中から
世の中を覗いているような感覚で、
色んなことを見て聞いて経験して、
そして、様々な感情が湧き起こってくる。
自分の目から見える、感じることは、
全てその着ぐるみを着ている自分を
中心として<在る>のだが、
自分以外の他人は、
その人に興味関心をもたなければ、
それは存在していないことになる。
つまり、逆に言うと、
自分を中心としてすべてが存在しているということ。
また、
もしある瞬間、自分が別のある人にすり替わったとしたら、
今まで自分の中にあった様々な感情や感覚は、
誰かが興味を持たなかったら
存在しないも同然のモノということになる・・・。
となると、
すべての感情・感覚(あるいは存在)は、
全部が全部、あやうく、移ろいやすく
取るに足らないものになる。
・・・という結論に至って、
このモノ思いは終了するのであった。
この感覚分かるだろうか?
文章に書けば、何のこっちゃ分からないかもしれないが、
当時は、こう考え続けて、
「虚しくなったり」
「悲しくなったり」
「厭世的になったり」
した訳ではなく、ただ「そうなんだ・・・」と
事実として、そのままに捉えていた。
すべての存在は、自分が作り出したものであり、
自分が大事と思っている、様々な感情や思いは、
[移ろいやすく、取るに足らないものなんだ]と。
いまになって、
この感覚はとても大事なことなんだと分かる。
この感覚が腑に落ちると、
妙な執着がなくなり、平淡な気持ちになれるだけでなく、
何か大きな存在の中に優しく抱かれているような気分になる。
まるで、
普段は家に居ても感じないのだが、
外で大雨が降っていたりする時に部屋の中に居ると、
妙に何かに守られているような気分になることと似ている。
依存したり委ねたり甘えたり阿たりする感覚とは違う、
それぞれが自立しながらも、一体感を感じる瞬間だ。
また長くなってきたな。
続く・・・。
skmt | 15:52 | diary | Comments(0) | トラックバック(0)
August 04, 2011
死にたくなる
先日、会社を経営する友人と飲んでいたら、
その友人が、意外にもこんなことを言った。
---
会社をやっていると、
従業員の給料や銀行への返済やら、
資金繰りの心配と、この先の不安やらで、
正直、死にたくなることがある・・・。
---
どちらかというと思い詰めるようなタイプではなく、
比較的、楽天的な彼がそういう言葉を言ったことに
正直、驚いた。
そして、ついこの間、
経営者を相手にコンサルティングをしている
先輩と飲んでいると、その先輩がこんなことを言い出した。
---
いろいろ大変なことがあっても、
あまり自殺したいと思ったことがないんだ。
---
昔から、自分が納得するまでストイックに、
かつ精力的に仕事をこなすその先輩から、
自殺というキーワードが出たことにとても驚いたが、
これは裏を返せば、仕事で相対する経営層の方々が、
その、死や自殺というキーワードに近しいというか
従業員や、その家族の生活を背負いながら経営しているように、
死や自殺というキーワードをいつも背負い込んでいる
ということの暗示なのだろう。
それらを聞いて思ったのは、
「みんな同じなんだ・・・・」
そう、
自分はというと、
死にたくなることなんてしょっちゅうだ。
プレッシャーのかかる
会社経営をずっとやってきたから・・・、
ということも勿論あるが、
正直、ずっと
「生きていくのって本当に大変だ」
と思って今まで来たし、
中学時代なんて、
三島由紀夫の本にどっぷりはまっていて、
「日本男児たるもの二十歳になったら自決せすべし!」
と訳の分からないことを思っていたり・・・。
それは半分冗談だが(半分は本気で思ってた?)、
というか本題とは関係ない話だが。
「死んだら全てが終わる」という死生観から、
「死が最終ではない、魂は死なない」と確信してからは、
死が怖くなくなった分、逆に「生」に対する執着が薄れてきたり・・・。
また、
「もっとお金を稼ぎたい!」
「もっと会社を大きくしたい!」
「あれが欲しい!これが欲しい!」
という、分かりやすい目標があった時は、
まだ、がむしゃらにやってこれたのだが、
「人生お金じゃない(年収が増えても、余計虚しさが募るだけ)」
「やりたいことが明確じゃないのに会社を大きくしても仕方がない」
「見えるもの(物質)が価値じゃない、見えないものにこそ真実がある」
「他人と比べても意味がない(見るべきもの、知るべきものは自分)」
と、尽きることのない欲求から
少しだけ解き放たれたというか、
少しだけ成長したのは良かったのだが、
その分、別の迷いや悩みが生まれたというか、
行き先は見えてきたのだが、
そこに到達するのがとにもかくにも難しく、
もどかしく、自分に負けそうになることも多い。
で、要するに何が言いたいかというと・・・・
(長くなってきたので続きは次回)
skmt | 18:18 | diary | Comments(0) | トラックバック(0)
Categories
Calendar
| 日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 |
| 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 |
| 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 |
| 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 |
| 29 | 30 | 31 |
Archive
Recent comment
- エミキチ から [2009:016-018]関ヶ原/司馬遼太郎(全三巻・再読) に対するコメント: お返事ありがとうござ
- skmt から [2009:016-018]関ヶ原/司馬遼太郎(全三巻・再読) に対するコメント: エミキチさん はじ
- エミキチ から [2009:016-018]関ヶ原/司馬遼太郎(全三巻・再読) に対するコメント: はじめまして! ある
- skmt から [2009:014]オリの中の虎/岡田彰布 に対するコメント: それが、実は 僕も立
- yassan から [2009:014]オリの中の虎/岡田彰布 に対するコメント: 30分も立ち読みする