diary

May 27, 2015

知覧で想う。

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知覧を訪れ富屋旅館に泊まった。

14年前に知覧に来るきっかけにもなったのが、高倉健主演の映画「ホタル」であり、モデルがこの富屋旅館(旧富屋食堂)だった。前回は泊まれずだったから、とても感慨深かった。

「永遠のゼロ」の影響で訪れる人が多くなったらしいが、改めて戦後70年という節目にこの地に足を踏み入れ、特攻の母と呼ばれた鳥濱トメさんから語り継がれた女将が、語部として特攻隊員のエピソードなどを交えて言っていた話の中で、

「現代に生きる人は損や得でしか判断しないし、そういう教育しか受けてこなかった」

という言葉は大きく響いた。

確かにその通りだった。行動をメリットデメリットという判断基準で考えることがクセになってしまっている。日本人の美徳とは正反対の考え方だ。

全くもってGHQのWGIP(War Guilt Information Program)によって見事に洗脳されている。

何が儲かるとか、メリットとか、得だとかではなく、
誰の役に立てるか、どんな徳があるのか、それがやりたいことか(志)、と考える方が日本的であり、やりたいことがやれる環境、自分が目指したい夢を追いかけられる状況だというだけで幸せなのだと改めて感じた。また、国の未来を憂いた先人たちが命を擲って紡いできたこの日本という国をなんとしても繋いでいかねばと強く感じた次第だ。

それにしても、いつ靖国行っても、今回の万世でも、知覧でも、気を緩めるとつい涙腺が崩壊してしまいそうになるので、普段は感情の扉を閉めているのだが、富屋旅館で語り部の話を聞いた後見た、石原慎太郎が制作総指揮・脚本を手掛けた「俺は、君のためにこそ死ににいく」という映画のダイジェスト版はヤバかった。涙がとめどなく流れ、思わず嗚咽しそうになった。ただ、B'zの主題歌は正直興醒めだった(B'zファンには申し訳ないが)・・・。


メインの写真は、知覧の特攻平和会館のロビーに掛かっている壁画。

紅蓮の炎をあげて燃える隼の機体から特攻隊員の魂魄を6人の飛天(天女)が救い出し昇天させる姿を表したもの。

これを見るだけで、涙腺がヤバくなる。


ところで、映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」だが、左派的な言動が多い井筒和幸が監督した『パッチギ! LOVE&PEACE』と同時期に上映されたこともあり、井筒は上映前からこの映画を「戦争の美化映画」等と評して、映画本編を見ない状態で批判したという。

この一連の井筒の批判に対して、出演者である窪塚洋介は映画の記者会見にて「映画を観てから評論して欲しい」「この映画を見て、戦争賛美だというヤツはアホだと思う。もう一回見た方がいい。見る前に言うヤツはアホ。右だ左だというけど、鳥は両方の翼がないと飛べないという思いで、日々生きています」と反論したという。

全くもってその通りだ。

「永遠のゼロ」を批判する輩もそうだが、
彼らがどんな想いで命を擲ったか、少しでも考えてみる思考は無いのだろうか。

蛇足だが、自分自身は安倍首相の施策を全面的に賛成している。
集団的自衛権の解釈について、徹底的に批判する人が多いが、米国の庇護を得られない状態で、支那や朝鮮から攻められたらどうするつもりなんだろうか。徴兵制でも復活させるつもりなんだろうか。むしろ戦争をしないための方法論なのに・・・。

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その他、南の島で散っていった方々の遺骨収集も急務だ。

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知覧を訪れたメンバーたちと。旧富屋食堂前で。

skmt | 15:35 | diary | Comments(0) | トラックバック(0)

January 21, 2015

あの震災がなかったら・・・

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先週、阪神・淡路大震災から
二十年目という節目の年を迎えた。

その二十年目の前日、
神戸に縁があり、広告業界でそれぞれ活躍する
コピーライター、デザイナー、カメラマン、プランナーなど
クリエイターの方々との飲み会があった。

震災前後に知り合った方々なので、
もうみな二十年ほどの付き合いになる
気心知れた人たちだ。

ここ数年は定期的(ほぼ季節毎)に集まっているが、
いつもこの会の開催が待ち遠しく、
そして実際、本当に楽しい飲み会になる。


震災の二十年目の前夜に、その会が開催されたのは、

実は全くの偶然で、いつもは恒例の忘年会の予定が、
皆の予定がなかなか合わず、ずれてずれて、新年会にということになり、
それもまたずれて、やっとこの日になった。この日に決まった時も、
別段気にも留めていなかったのだが、店を予約する段になって
ふと気付いた。この日は、震災二十年目の前夜だったと。

そして、このメンツで飲めるだけでも最高なのに、
震災二十年目の前夜に、このメンツで集えるなど、
これはもう、奇跡じゃないかと思った訳だ。

神戸で震災を体験した者としては、
今までも、そしてこれからも1月17日は特別な日なのだが、

二十年目の1月17日は
今までとは全く違った感覚だったから。


そして、会が始まり、宴もたけなわな頃、
「震災が自分にどういう影響を与えたか」と
それぞれ聞いていくと、

「あの震災がなかったら、今の自分はなかった」

と皆が異口同音に、そしてそれを
肯定的に言っていたのがとても印象的だった。

かくいう自分も、
震災後どうしようもなくなって、
フリーの真似事のように仕事をしていて、
それでなんとか収入を得ることが出来て、その経験があったからこそ、
独立しようと思えた訳で、実際、震災の翌年に神戸で独立起業した。
震災がなかったら、まったく違った今だったと思う。

家族や親戚・友人・知人で亡くなった方がいれば
また違った感覚なのだろうが。幸いその経験は全員無かった。

この日は、皆がいつもにもなく熱く語っていた。
震災二十年目だからこそ総括したくなるというか、
節目だと実感していたからだろう。


いずれにせよ、
このメンツでこの日に集えたことが、
本当に嬉しく、そしてありがたかった。

skmt | 18:06 | diary | Comments(0) | トラックバック(0)

January 12, 2015

人生で最高に恵まれた時

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年齢を重ねるごとに過ぎゆく時間が早くなると言うが、
ここ数年の一年は本当に長い。それはこの歳になって、
新たな挑戦ができ、新たな経験を積め、新たな気付きが生まれ、
新たな出会いが多いからに他ならないのだろう。

まだまだ発展途上で、
なんとかギリギリのところで奇跡的に今に至っていて、
これからも前途多難という感じなのだが、

一昨日、ある新年会に参加していて、
参加者全員に、それぞれ言葉がプレゼントされる企画があり、
自分が引いたのが、

人生で最高に恵まれた時

という言葉だった。

まだまだ途中だと思っていたが、
いまの状況と、これからのことを考えると、
まさに、今が最高に恵まれた時なのだと妙に納得し、
この言葉はまさに今の自分にピッタリで、
自分のためのメッセージなのだと思った。


という訳で、新年には毎年、テーマを決めるのだが、
今年はどうだろうといろいろ考えてみて、出したキーワードはこれ

巻き起こす

このキーワードの詳細はいずれの機会に

ちなみに、
去年は[地固め]だったが、
地固めできたのかどうか・・・。

とにもかくにも新たな年になり、
心機一転頑張ります。


とりあえず、
今年は大阪に事務所を出したい。
その翌年は東京に!

春には知人の還暦を祝いを兼ねた知覧への旅と
そのついでに、ずっと念願だった、
年に一度しか参拝できない(しかも女人禁制)
宗像大社の沖津宮への参拝を実現したいな。
師匠とともに。

還暦祝いは、別の知人の分を年末にも敢行予定。

あと、お遍路さんも今年あたりから敢行したい。

仕事もそうだが、やりたいことが多すぎるなぁ・・・。

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August 07, 2014

奇跡の軌跡

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最初に独立し創業したのが1996年7月1日。
それから、かれこれ18年もの月日が経ったことになる。

つまり、サラリーマンを辞めて18年、
なんとか今まで生き存えてきたって訳だ。

自分で言うのもなんだが、凄いコトだな。

今の会社は、先々月で4期目を終え、
7月から5期目に入った。

この会社は今までとは全く違う分野で、
自分が本当にやりたかったことをやろうと思って作った。

だが、設立して最初の2年半ほどは試行錯誤の連続で、
やりたいことがやれるのか分からず、いつも先が見えなかった。
その後の1年半は、新しいことをやり始めたものの、乾坤一擲な感じで
そう簡単にいくはずもなく、というか、まったくもってうまく行かず、
何度心が折れそうになったことか・・・。

が、このままで終わるはずがないという根拠のない自信と、
願えば必ず叶うという信念と、
すべての苦労や苦悩は、自分の成長のためにあるという
超前向きな気持ちでなんとかやり過ごしてきたが、

去年の暮れは本当に
今の事業を辞めようかとかなり悩んだのだが、
なんとか思い留まり、事業を継続すると同時に、
自分が元々やりたかった方向に舵を切った。

そして半年が経ち・・・
7月になり新たな期を迎え、
なんとなく6月末あたりから
「いよいよ風向きが変わるかも」と感じていたのだが、

本当にその通りになってきた。


今まで何とかやってきたことが、
なにせ奇跡の軌跡といった感じだったが、
これからが本番って感じだ。


skmt | 18:52 | diary | Comments(0) | トラックバック(0)

January 20, 2014

乾坤一擲

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毎年決めている一年のテーマ。

去年は[シンプルに進む]だった。

が、実際はというと、

シンプルに進むには、
あまりに感情が揺さぶられる、
刺激の多すぎる一年だった。

2008年あたりから、
公私共々いろいろな変化が始まり、
なんだかんだとあり、毎年毎年、
飽きない激動さが続いているのだが、
去年の一年は、今迄とはまた少し毛色の違う大変な一年だった。

その去年を表現するのに
ぴったりな言葉はこれ。

(そんなつもり毛頭ないのだが)
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乾坤一擲

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しかし、先日指摘され腑に落ちたように、
これは全て、刺激や変化を求め、
平凡さやルーチンさを嫌う、
自分が選んだこと。

四半世紀続けてきた(もう四半世紀!)、
広告及びIT関連の仕事に少し飽きてきていたこともあったが、
昔からやりたいことがあり、去年一昨年あたりから、
それに向かって右往左往しているのだが、
なかなかうまくいかない。

ま、逆に簡単にうまくいってもおもしろくはないのだが・・・。

改めて、新しい事業を一から立ち上げることの難しさと、
それ故のおもしろさ、奥深さを感じた一年だった。

そして、今年は・・・

年末に師匠に言われた言葉を
今年のテーマにして進んでいきたい。
それはこれ。

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地固め。

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新たな事業も、やっとこさ、
去年暮れから新年に掛けて、
少しづつ体裁も整ってきており、
このまま、しっかりとサービスを定着させていきたい。
シニア向けのサービスだ。

また、広告及びIT関連の仕事もなんだかんだと忙しくさせて頂き、
今シーズンは久しぶりに採用関連の仕事をめっこりやらせて頂き、
サイトやパンフも多く作らせてもらったが、
お役に立てる仕事が出来るのはなんにせよありがたい。

また、春頃から動き出す予定の、
楽しみなプロジェクトもある。


家族にも恵まれ、
こんな様々な経験が出来るだけでも幸せ者だ。

なんにせよ、今生をしっかり堪能せねば。

skmt | 18:07 | diary | Comments(1) | トラックバック(0)

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