diary

November 29, 2013

死期を知る。

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つい最近、親戚が亡くなり法事があった、

と前回書いた。


亡くなった原因はすい臓ガン。

すい臓ガンは、早期発見が非常に困難な上に進行が早く、
きわめて予後が悪い。このことから「癌の王様」と言われているらしい。
王様と言われても困るが・・・。

亡くなった親戚は、
まだ還暦前の58歳だった。

今年の2月に病院に行き、
「余命1ヶ月」と告知され、
結局その半年後に亡くなった。


「余命1ヶ月」の告知は、
直接本人に行われたそうだ。

早逝したことにも驚いたが、
本人に告知されていたことにも、大いに驚いた。

1年とか2年ならまだしも、
自分の命がわずか「1ヶ月」と聞く気持ちなど全く想像できないし、
またそのことを知った家族の心境を考えると、なんとも居たたまれない。

自分の父が亡くなる前、
医者から残りの時間が僅かであることを聞いていたが、
父には何も伝えなかった。

父は、亡くなる前日に
「もう葬式の準備は出来てるのか?」
と自虐的に聞いてきたが、もちろん否定した。

父が余命を予見していたかどうかは分からないが、
自分としては、父に死期を悟られたくなかった。


このブログでも何度も書いているが、
自分とって「死」というものは、人生の中で最も大きなテーマであり、
物心付いた頃から、常に「死」を意識して生きてきたと言っても
言い過ぎではない。そんな「死」というものを、
安易に(という言葉がふさわしいか分からないが)、
自分以外の人間に突きつけることなど出来ない。

同じ意味で、
自分が「余命1ヶ月」という事実を突きつけられた時、
どう受け止められるか、想像もできない。
明確に死期を知り、残りの人生を全うに生きたいたいと思うか・・・
いや、きっと難しいだろう。できるとするなら、いまこの時も、
「いつ死んでも悔いがない」という生き方をするのが精一杯だろう。

いずれにせよ、
自分は告知して欲しくないし、
家族には、伝えられない。

まだまだ修行が足りないのか、
「死」の前に笑顔ではいられない。

skmt | 22:58 | diary | Comments(0) | トラックバック(0)

October 21, 2013

会える時に会う、聞ける時に聞く。

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母と半年振りに会った。

自分には生みの母と育ての母が居るのだが、
半年振りに会ったのは生みの母だ。

昨年辺りから少し認知症気味で、
時間が経つほどにコミュニケーションが
取りにくくなってきている。

先日行ったのも、
会いに行ける時に行かないと
会話が出来ないどころか、息子のことも
分からなくなってしまうかもしれないという危惧からだ。

母は自分たち兄妹の小学生くらいの写真を
後生大事に持っていて、自分の中では、
もうその小さい頃の兄妹像が染みついているらしく、

顔を合わせた瞬間に「大きくなってー」と
言われ困惑したのだが、
まだ息子だとは理解しているようだ。

亡くなった父とは、
父が長期に渡って入院していた際に
今まで出来なかったような話をたくさんした。

母とも、多少は話をしたつもりだったが、
もっとすれば良かったと少し後悔している。


また、つい最近、親戚が亡くなり法事があった。

父は早くに亡くなってしまったが、
父の兄や姉はまだ健在だ。

ただ、歳も歳なので、
正直あと何回会えるか分からない、
なので、その法事の際に、
今まで聞きたかった話を根掘り葉掘り聞いてみた。

父の子供の頃の話や、どんな兄弟だったか。
空襲の話、疎開した時の話(出身は大阪で疎開先は奈良の橿原)。
自分が生まれる前に亡くなってしまった祖父の話。
満州に居たという曽祖父の話など、
初めて聞く話ばかりだった。

いろんな話を聞いてみて、
人は生きて、当たり前に死に、
残された子孫達もまた脈々と生きて、
そして、また当たり前に死んでいく、
時代はたゆまなく流れていき、そこに良いも悪いもない、
ただ流れていく、自然の摂理というか、流れを感じた。

いずれにせよ、
会いたい人には、会える時に会う。
聞きたい話は聞ける時に聞く。
というごくシンプルで当たり前の大切さが
身に染みてくる今日この頃なのだ。

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July 27, 2013

死と宇宙との一体感

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最近よく見る番組に、Eテレの
[SWITCHインタビュー達人達(たち)]がある。

全く分野の違う著名人が、あるテーマで語り合うという番組だ。

前回は、作家・平野啓一郎とアルピニスト・野口健が出演しており、
いつも以上に興味深い内容だった。

今回のテーマは、「死」。

新作で自殺問題に正面から切り込んでいる平野啓一郎と、
極限状態で幾度も死の淵を覗いてきたアルピニストの野口健が語る「死」。

「死」は自分にとっても、
幼少の頃から頭から離れたことのないキーワードというか、
常に考えの行く着く先というか、深淵なるテーマであった。

「死を選択する人」は
「最も生きることを渇望していた人」だと云う平野啓一郎。
エベレストで体験した恐怖のあまり
「死がぴたぴたと顔にまとわりつく」感覚、そして、
巨大雪崩に巻き込まれ奇跡的に助かった瞬間の野口健の心の動き。
また「死」という大きなエネルギーに抗いきれなかったパートナーの話など
真剣にのめり込んで見てしまった。

幼少の頃から捉えていた「死」とは、
誰も答えを教えてくれない難問を解きたい
というのに似た欲求であったが、ここ最近は、
現状から逃げるための最終手段としての行き先としての捉え方だろうか。

そういう時は、様々な想像力が働く。
そして、自分勝手に回りの人も一緒に巻き込んでしまう。

例えば、

宇宙から隕石が落ちてきて、
街ごと吹っ飛ばしてくれないかなとか、

宇宙人がやってきて、世界が大ゴトになり、
仕事どころじゃなくならないかなとか。

勝手なもんだ。

冗談っぽく書いているが、
想像している時は真剣だったりする。

でまぁ、そう考えるような
厳しい状況に身を置かれると、

高校時代からの親友もついこの前言っていたが、

「神経が研ぎ澄まされる」感覚になっていることが多い。

そうすると、
なんだか分からないが、

自分は生かされているんだと分かり、
この状況はあからじめ決められた中での必然であると分かる。

そして極めつけは、

自分は宇宙と一体なんだ、と

と分かる。

起こることは起こるべくして起こる。
それが真理なのだなと、改めて腑に落ちている
今日この頃なのだ。

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April 01, 2013

今日から新年度。

20130401.jpg


今日から新年度。

期も変わり、気持ち的にも
やっとこさ一段落したので、
久しぶりに日記でも書いてみようかと思い、
ブログを開けてみれば新年早々に書いたっきり。

3ヶ月間放置していた。

仕方ない・・・。


去年の暮れから新規事業として、
全く未知・未経験の分野の事業を始めたのだが、

これがもう大変のなんのって。

前の会社だって12年経営し、
今の会社も三期目で、会社経営としては、
経験がある方だが、改めて考えてみると、
というか考えなくても分かるのだが、

今までやってきた事業は、
投資なし仕入無しリスクも殆どなしの受託業。
最悪一人になってもやれる仕事だったし、
そもそも始めたのが一人だった。

しかし、今回は全く違う。
一人では出来ないから先行投資で人件費や設備費が掛かり、
今までの企業相手とは違い、対象はエンドユーザー。
なので、人件費や設備費と同様に、広告宣伝費を掛け、
その反響で営業していくことも全く異なっている。

長年経営者として過ごしてくると、
それなりの大変なことがあり、思い悩むことがあり、
自分の非力さを痛感したり、売上が上がらず嘆いたり悲観したり、
(多少の)資金繰りなんかも経験してきたつもりだったが、

今回の新規事業での経験は、
何から何まで違う。

やってみて、
事業とはこういうものか、
資金繰りとはこういうものか、
広告を出すということはこういうことか、
などということがよく分かった。

逆に言うと、
今までやってきたことは、
甘っちょろかったと痛感せざるおえない。

途中、かなりやばい時期があって、
生きている心地がしなかったこともあり、
本当に冗談抜きで、かなり堪えたが、
それが続くとなんだか悟りの境地のようになり、
(「異常も毎日続くと日常になる」って感じ?)
なるようにしかならない!と腹を括って、

何より、まだまだやりたいことがあるのに、
こんな所で、ちんたらしている場合じゃない!と、
志を高く持つように心掛け、また、

こんな経験ができることが素晴らしい!
と思うようにして、なんとかやり過ごしきた。

そして始めて4ヶ月。
なんとか形らしいものになってきた。

もちろん、正直まだまだ軌道に乗っているとは言い難いが、
とにかく撤退という危機は免れた。

という訳でちょうど新年度が始まり、
心機一転、行くぞ!という心境の今でございます。

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January 10, 2013

今年のテーマ

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あけましておめでとうございます。

さて、前の会社を創業してちょうど10年経った節目の年である、
2006年から毎年、年初にその年のテーマを掲げている。

-----

前年暮れに父が亡くなり、その半年後にインドに行ったりして、
死というものを今までに以上に突き詰めて考えた年だった
2006年のテーマは:[輪廻転生]

本厄になり、なんだかいつも気持ちがふさぎ込んでいて、
辛いどん底の毎日。自分の存在価値を見失ってた
2007年のテーマは:[内なる旅]

自分を見つめすぎて、色んなことに迷い惑い、
訳がわからなくっていた。
そして色んな事が急激に変化して行った年だった
2008年のテーマは:[不迷不惑]

過去も未来にも囚われず、考え過ぎず、
毎日しっかりと生きないといけない!と直感。
それにしても前年以上に変化の多い年だった
2009年のテーマは:[毎日しっかり生きる]

過去でも未来でもなく今を見つめる。
ポジティブでもネガティブでもなく、
自分の気持ちに真っ直ぐ向き合う。
自分だけでなく、全体にも意識を向ける。
考えるだけでなく、感じよう!と思った
2010年のテーマは、:[センタリング]

大切なのは、目に見えない繋がり。
なんとなく、そう思っていて考えた
2011年のテーマは:[繋がる]
*今の会社を作ったのはこの年だった。
ちなみに、この年は東北の震災が起きて、
奇遇ながら、繋がる(絆)が注目された。

肩肘張らず、力を抜いて、自然体で、
過去を後悔せず、未来を心配をせず、
今を生きて、自分を信頼し、宇宙を信頼していこう!と
2012年のテーマは:[無為自然]


で、2013年。

今年の正月、自宅に届いた年賀状だが、
「今年はもっと遊ぼう!」とか、「楽しもう!」とか
いうメッセージが書かれたものが、なんとなく多かった。

それを見て、
歳を重ねるごとに、
気心知れた友人・知人、先輩たちと
過ごす時間の貴重さというか
大切さというか、何より楽しさは、
得難いものがあると実感するのだが、
これからはさらに、それをもっと大切にせねばと改めて感じ、
そんな時間をもって作っていこうと思った年初で、

(詳しくは改めて書くが)会社も新たな事業を始め、
自分が昔からやりたかったことに
少しづつ近づいていくような気がして、

考えてテーマがこれだった。

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[シンプルに進む]

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考え出すと、いろいろ障害があったり、
気に悩むことがあったり、自分を責めたり、
深刻になって、進むべき道が見えなくなったり
することも多いのが実情だが、

でも、考えてもしょうがないことは
いくら考えてもしょうがないし、

出来ないものは出来ないし、
深刻になっても、しょせん人生なんて、
色即是空 、空即是色なんだから、
高い視点で、軽やかにやればいいだけの話で、

つまり、

大切な時間を大切にし、
大切な人を大切にし、
自分を偽らず、等身大で、
本当にやりたいことだけをシンプルにやる。

ということ。
これに尽きるな、
と考えて出したテーマだ。

というわけで、まだまだ至らぬ私ですが、
今年もよろしくお願い致します。

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